magetarou

06 May

窓の外を見る



しつこく、小学校の話を書きます。

前にも書きましたが、ものすごく文章で残すのをいやがるように思われる。

なにか、連絡をしたいことがあれば、まず、担任の先生あてに
連絡帳に書く、というのが長女の時の約束事だったのですが、
学校からは、まず、電話がかかってくる。
また、何かを質問したり、した場合でも
電話がかかってきて、あげくの果てに
「説明にお宅に伺いたいのですが。」
と、言ってくるのです。

我が家は夕方からまた仕事がある家なので、困るのですが、
一度
「結構です。」
と、断ったのに、家におしかけられたことがあります。

その時、思ったのは「クレーム処理か?」
ということ。
担任の先生が新任で若かったせいか、学年主任、ベテラン格の先生
3人がかりで来て、
そのときは、なんの落ち度も無いのに、ぼん が水筒をわざと踏んで壊された
事件だったのですが、
誤りに来たというよりは、こんだけ誠意をみせました、こういう風に
処理しました、と、あとで報告ができるように来た、という感じでした。


近頃の子供やいわゆる若い人に対する評価として
「コミュニケーション能力の不足」
ということを思う方が多いと思うのですが、

結局のところ、その能力を学ぶ学校の場で
教師のほうも「コミュニケーション能力」が低いのでは
ないだろうか、と、思ったりします。

そして、やはり、それは相手を思いやる心だったり、共感する心だったり、
自分自身の考えをちゃんとまとめる能力だったりが大事な要素なのでは
ないかと、思うのですが、

例えば、こどもに対しては、みていなかった事柄については
とりあえず、けんか両成敗的な解決を急いでそれぞれのこどもの
気持ちを聞いてあげることはしない、とか

対、保護者に関しては問題が大きくならないように下手にでながらも
一切、学校の運営に関しては口を挟まれないようにしよう、という
態度とか、

そういう感じが伺えてしまう相手とではコミュニケーションもはかれない
だろう、と、思ってしまうわけです。


前回に書きました通り、現在の先生達は本当に時間がないようで、忙しそう、
それはわかるのですが。

もし、次回かけたら、
信頼ということ

同じ方向を見つめること
について書きたいと思っています、
08:51:53 - magetarou - No comments -