magetarou

07 May

信頼と言う事

さて、昨日、書いた信頼と言うこと、同じ方向を見るということですが、

まず信頼と言う事。

小学生も低学年なら、担任の先生がとにかく好きで、好きになってもらいたい、
そんな関係でつながっている子供が多く見られると思いますが、
高学年になってくると、そう簡単にはいかなくなってくる。
どうしようもなく、人のあうあわない、すきかすきじゃないか、なんて
ところが出てきます。それはある意味、心がちゃんと発達している証拠だとも
思うのですが。

でも、正直、性格的に会わないなあ、と、思う大人でも、ちゃんと、話を聞き
一緒に過ごすためには何が必要か、と言う事になれば、
信頼できるか否か、ということになるのでは、ないか、と、思っています。

それでは、その信頼できるかどうかの決めては、
あの先生は好きじゃないけれど、言っている事にスジが通っているから話は
聞こう、という事になれるには、
ぶれない、スジを通す、誠意を持って接する。ことが大事かな、と、思う訳です。

聖人君子ではないから、完璧にはいかないかもしれませんが、
例えば、立場がかわったら意見も変わるとか、
人によって態度がちがうとか、
間違っていたと、わかっているのに謝らないとか、

こどもに、注意していることを大人も頑張ってしているか、かな、
思ったりしています。

そこのところが、どうも曖昧になっている先生がたまに見受けられるような
そんな気がしているのです。


そして同じ方向を見るということですが、

先生方も、保護者も「こどものしあわせ」というのが
一番大事だと言う事は同じなのではないか、と、思うのです。

自分の子供だけよければ良い、
とはっきり言い切った人を私はしっていますが、社会の中でいきて
いく以上、そういう訳にもいかないし、できれば多くのこどもが
しあわせに生きるべきだ、と、思っています。

この「しあわせ」はただ単に思い通りになるとか、そういうこと
ではないということは、おわかり頂けると思うのですが、

いろいろな問題をはらんでいて、
例えば、学力が一番下のラインの子にあわせることが真の平等なのか、
とか、
生きる力って結局なんなのだろうか、
とか、

でも、変わらないのはこどもの笑顔が見たい、といことなのでは
ないだろうか、

それであれば、先生や近隣の人々や保護者の方は同じ方向を見ている
のだから、何か問題があれば、ちゃんと意見を出し合い、考えをすりあわせて
いくお互いの努力が必要なんだと、思うのです。

だから、まずは保護者はPTA総会や懇談会には時間をさいても出席してみる、
その時間がなければ、思っていることを伝えてみる、
近所の方々は実際、楽しく先生や児童が過ごしている学校をみに来てみる、
そんなことも大事でしょう。

そして、具体的な例を挙げてしまうと問題があるかもしれませんが、
ある、課外活動のための場所とりに1月4日から電話をしなくてはならなくて
大変、なんて事をいったら言い訳にしか聞こえない、ということ、
一般企業は1月4日から働いている人がほとんど、
しかも、NPO法人の方で子供達の笑顔見たさに5月の平日の午後から一晩並んで
夏のキャンプの場所とりをしている人もいる現実をどう思うのか〜。
そんな言い訳ばかりの発言の後、上から目線で「想像力を養う遊びをさせて
ください」って言ってもむなしく聞こえるばかりです、、。
やる気がない指導者が連れていくと、本当に事故とかおこりかねないから
しょうがないよ、となぐさめあっている保護者がいる現実をどう思うのか、


先生方も同じ方向を見ている、という信頼を回復する努力をまずしてほしい
と思うわけです。

大型連休も無事に終わったので、いったん小学校の話も終わりにします。
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