同世代だからなのか、実は普遍的なテーマなのか。
立場や目指していたもの、状況はいろいろ違うから、
同じとはけっしていえないのですが、
春子さん、すっきりしてよかったね。
私のあやまってもらいたい相手はもうこの世にいないから
あやまってもらえない。なんだか、逝く前にそれらしい
ことを言っていたような感じもするけれど。
最後には自分が選んだ道だから、自分に責任があるんだけれど、
辛いとき、うまくいかない事が多いとき、
あのとき違う道を選べていたら、と思う事あります。
だから、高校3年生の長女に
「お母さんが受験する訳じゃないし,お母さんの人生じゃないから
自分でよく考えて決めなさいな」
と、言うのですが放任だと、思われているようで、
ここでもまた母娘の確執があるわけですな。とほほ。
ところで、私があやまってもらいたい相手は母ではない。
のんきな母は、今年のお正月にわたしが行きたくて合格していたのに
受けて良いとはいったが行って良いとはいっていない、
というへりくつでいかせてもらえなかった大学の
合格を知らせる新聞記事の切り抜き
(当時は今のように個人情報保護法が無かったから、
千葉日報に県立高校入学試験合格者名簿はでるは、
朝日新聞でも県内の国立大学合格者名簿がでる時代でした。)
をみつけたのよ〜と、だしてきて
「いらない?」
などといっておりました。
「捨ててください」
と言いました。