magetarou

言い訳に過ぎないが。

「グロリア」という映画がある。近年リメイクされた方は見ていない、ジーナ ローランズ主演の方だ。主人公のグロリアがひょんな事から命懸けで守っている少年に墓地で「どれでも好きなお墓を選んで祈りなさい」という場面がある。少年は組織に追われている。少年の家族は少年以外、組織に殺されている、と思う、死体も確認していないし、死体がどうなったかもわからないが。
その家族の為に、とりあえず気に入った墓の前で祈っておけ、というのだ。

はじめてこの場面、このセリフに出会った時妙に納得するものがあった。

私の父は生前、春秋の彼岸、夏の盆、とお墓参りをした。毎年欠かさず墓参りに出かけていたが、その墓は父の先祖代々の墓ではない、彼の先祖代々の墓は北海道紋別にあり、春の彼岸にはまだ雪の中だ。彼は妻の先祖代々の墓に欠かさずお参りをしていたのだ、当時妻の父母はまだ存命であった。

現在、私は毎年彼岸には欠かさず津にお墓参りにいく、そこは夫の母方の先祖代々の墓になる。そして、このグロリアのセリフと父の姿と自分の姿を重ねあわせる、とりあえず、気に入った墓の前で祈っているのだ、本当に参るべき墓には都合により行く事ができない、でも祈りたいのだ。

死生観は信仰する宗教がいろいろであるように、個人で違うものだと思っている、他人の感覚をとやかく言う気はさらさらない、ましてや、今哀しみの大きな流れにたえている方々にはなるべく、その方々の思うように行動してあげたいと思う。しかし、物理的にどうしても無理があるのも事実。

参るべき墓から遠くにいる自分が悪いのである、だからまさに言い訳でしかない、でも、わかってもらいたい部分がたぶんにあったりする、いや故人が一番わかってくれていて、無理しなくていいんだよ、と言ってくれる気がしていて甘えているのではあるが。

posted at 23:51:33 on 03/22/09 by magetarou - Category: Main

コメントを追加

:

:

コメント

tsururu wrote:

お盆やお彼岸て故人を思い出す事が一番大事なのかなと思います。故人が眠っているお墓に行ければそれは良いし、そうでなくても思い出して心を寄り添わせれば、場所は最も大事な要素ではないんじゃないかなぁ。
ご先祖の御墓参りしていない私が言うのもなんだけどね。
お墓に閉じこもってる故人は少ないかもよ〜
03/24/09 00:09:56