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M太の半生に思いをはせる その2
さて、なぜ、そんなに半生に思いをはせてしまうか、というと、この一ヶ月
同じように数奇な運命を辿る(?)子たちにであったからなのです。
G一は今年の夏の暑さがこたえたようでしたが、「そうですね、15歳と言えば
おじいちゃんですものね」と飼い主さんと話をしていると、「いや、実は
うちにくる前に密柑山の番をしていたので、本当はもっと年を取っていると
思うんですよ」と、おっしゃるのです。
初耳でした。というと、密柑山の持ち主さんのところで生まれた子なのだろうか?
それとも、そこでももらわれてきたということになるのだろうか?密柑山から
まったく違うお家にきてどうだったんだろうか?
何も語らないのですが。
そして、昨年、14歳で現れた子の飼い主さんが「この子はO歯医者のO先生に
飼われていた子ですよ」とおっしゃるのです。
ええ、ええ、覚えています。O先生は我が家のだんなさんもこどもの頃からみて
いただいていたおじいさんの歯医者さんでした。晩年、飼っていた子がいなくなって
しまって、探したのですがみつからなくて(その子もどこでどうしたのやら)
また、子犬をかわれたのですよね。だんなさんが予防接種の往診にいったときに
歯科衛生士のお姉様方にちやほやされていた姿を覚えています。
それから、数年後O先生は亡くなって、それっきりだったのですが、まさか、
年をとって目の前に現れるなんて!O先生のこと、覚えてる?
何も語らない訳です。
ローレンツ博士は「神様は犬と人間がこんなに仲良くなるとは思っていなかったのだろう、そうでなければ、こんなに寿命を違うようにしなかったろう」と書いていらっしゃいましたが、これからも、時々彼らの半生に思いを馳せてしまうでしょうなあ。
posted at 23:53:57 on 09/22/08
by magetarou -
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